現在のラグビー部
「自由闊達 質実剛健」な校風のもと、学業とラグビーの両立を目指し日々活動に取り組んでいます。ラグビー人口の減少にも関わらず、1年生から3年生全員で秋の全国予選に15人制単独チームとして出場を続け、現役大学合格を目指しています。
近年は、秋の全国大会予選で初戦・2回戦を勝ち抜き、11月のシード校との対戦に臨んでいます。また、2024年度には高校日本代表候補者を輩出しました。
卒業後も多くの選手が大学でラグビーを続けるほか、学界、経済界、教育関係、ラグビー関係など多方面で活躍しています。

チームワークが試されるスクラム練習

試合に向けて、全力で挑む練習のひととき

マネージャーとして、チームを支える姿
ラグビー部の歴史
1922年(大正11年)に創部され、大阪で最も長い歴史と伝統を誇るチームです。これまでに全国大会へ19回出場し、優勝2回・準優勝3回という輝かしい成績を収めています。

創部当時

全国大会優勝

マスターズ花園(40歳以上の高校OBチームによる大会)
100周年を迎え

元日本代表 大畑大介氏、福岡堅樹氏、レフリー久保修平氏、歴代顧問、現役部員、OBらとともに
2022年(令和4年)創部100年を迎え、100周年記念事業を挙行しました。現役は東大阪市花園ラグビー場第一グランドにおいて天王寺高対北野高の記念試合を実施。ラグビー部としてはシェラトン都ホテル大阪において記念式典を開催しました。ラグビー元日本代表の大畑大介氏と福岡堅樹氏をはじめ学校、ラグビー関係者、記念試合の天王寺高、北野高の両校現役部員を招き、全国各地より200名以上のOBが参加しました。
天王寺のラグビーとは
世代を隔てて現役部員・OBがつながる
「愛情をもって先輩が後輩たちの面倒を見る」伝統があります。
ラグビー自体が国内に普及していなかった創部当初、右も左もわからない後輩たちを、京都大学・慶応大学でラグビーを経験していた先輩らがグランドに出向き指導をしました。
創部時のエピソードから
「(ラグビー部創設部員宅に)突如として一面識もない人からの電話。いわく自分は天中11回の卒業生である。天中でラグビーをやり始めたそうだが、そうか、それなら自分が指導しにいってやる。」
「オレは家の物干しにラグビーの旗を立てておくから、その時はいつでも遊びに来い。(中略)ラグビーは英国伝来だがその精神は我々日本人が養わねばならぬ。これを錬成しよき紳士たるべきことを強調された」
〈中略〉総じて天中の先輩の心根というものは、議論や理屈で考えていては到底分からない。なぜかというに、これら天中の先輩は後輩を世話したとか、まして恩を施したなどとは毛頭思っていないからである。この人たちは、各々その持てるものをもって尽くしてくれたのではなく、そのなすところのものをもって、その責を果たそうとしたに過ぎない。すなわち、これら先輩にとっては、ラグビー精神が自然であったのである。
(【桃陰ラガー半世紀の記】p200~21、【天王寺高校ラグビー部創部百周年記念誌】p69~73 ラグビー部創部者阿部幸作氏「50年に思う」より)
大学ラグビー部との交流
京都大学ラグビー部、神戸大学ラグビー部、大阪公立大学ラグビー部等とグランド利用、合同練習、入試説明など様々な交流を行っています。
ラグビーの技術とともに入試や大学生活などの情報を得る貴重な機会となっています。
学業において高い進学実績を誇り、文武両道
東大、京大、大阪大、神戸大、大阪公立大(大阪府大、大阪市大)大教大、同志社、関西学院、関西大、立命館、慶応、早稲田、国公私立医薬系、上記国公立医学部他、京都府立医科、奈良県立医科、滋賀県立医科、岡山大医、大阪医科大、関西医科大、近畿大(医)他
多種多様な人材、リーダーを社会に輩出
藤本哲也(1982年卒)» 特集記事
- 東京大学法学部卒
- シンガポール国立大学経営大学院修了(MBA)
- 公正取引委員会事務総局 事務総長
川端良三(1983年卒)» 特集記事
- 慶應義塾大学商学部卒 (ラグビー部主将)
- 三菱地所株式会社 代表執行役 執行役専務
- 前三菱地所プロパティマネジメント株式会社 代表取締役
参考資料 組織運営学んだ天王寺高ラグビー部 三菱地所PM社長
藤原徹(1983年卒)» 特集記事
- 東京大学農学部卒(植物栄養・肥料学研究室)
- 東京大学大学院農学生命科学研究科
- 応用生命化学専攻 植物栄養・肥料学研究室
福本正幸(1986年卒)» 特集記事
- 慶應義塾大学商学部卒
- ジャパンラグビーリーグワン チーフラグビーオフィサー(Chief Rugby Officer:CRO(ラグビー部門事業遂行責任者)
- 前神戸製鋼コベルコスティーラーズ チームディレクター
- 元ラグビーUNDER23日本代表、元神戸製鋼ラグビー部フォワード、‘90・’91年度社会人大会、日本選手権優勝メンバー(左プロップ)
天王寺のラグビー精神 我々が創部時から受け継ぎ大切にしてきたこと
「創部時以降現在まで大切にしてきたことが「天中魂(天高魂)」と「ラグビー精神」です。
天王寺のラグビー精神
天王寺にラグビーが誕生し今日まで途絶えることなく育まれてきたのは、個性豊かな先生と教育方法を通じて醸成された”学校独特の気風“が少なからず影響していて、それは同時に天王寺のラグビー精神とも言えます。
自由闊達 質実剛健「自由闊達 質実剛健」を校風とし、教員、 …続きを読む
天王寺高校は「自由闊達質実剛健」を校風とし、”教員、生徒、生徒相互の間に呼応の関係を醸成し、「授業第一主義」「多彩な行事」「活発な部活動」を特色として、知力・体力・精神力を養っている”、すなわち、授業と等しく学校行事、部活動も重視した教育の実践は、天中・天高を通じて一貫しています。
校風となる詳細な経緯は明らかではありませんが、質実剛健について『桃陰百年』に以下の記述があります。
〈前略〉創設以来、本校の教育方針は福井校長の理念により、商人型大阪人を質実剛健の健児に育てあげることであったこと、「桃陰」43号(15周年記念号)に「当時訓育の方針は活動主義、放任主義にありしが如し。鋳型的重箱的世の教育法を避けて、生徒をして自由の天地に放遊せしめ、教室入口の戸の如き、一々鍵をおろして、廊下庭上只生徒の活躍に一任せり。」とある。休み時間に教室から生徒を追い出したことなど、活発な行動を促していたのである。質実剛健といっても、あまり厳格にしめつける策はとらなかったようである。〈後略〉
〈前略〉開校以来、30代の少壮校長2代によって培われた本校の質実剛健の校風は、他の中学校とは異なる独特の風であった。質実剛健の気風は、「その顔蒼白、四肢柔軟、各自に襟巻をなし、炎天に日傘をさす男とも女とも付かぬ中間性的動物を槐死せしめよ」と叫んでいる創刊号の「桃陰」誌上の言によっても、開校早々に既にその片鱗を見せていたことが知られる。〈後略〉
天中魂(てんちゅうこん)「天中魂」とは真の自由の精神である〈中略〉私は天王寺中学校に …続きを読む
「天中魂」は、鈴木券太郎校長(第四代、明治44~大正9)が唱えた標語で、天王寺中学における教育の精神的支柱をなすものと考えられます。当時定期刊行ていた校内誌「桃陰」が「天中魂」に改題された時期もありました。この「天中魂」について、ラグビー部創設メンバーの阿部幸作氏(中25)は「桃陰回想」12号(「桃陰百年」収録)の中で次のように綴っています。
『「天中魂」と自由』
〈前略〉それで私は「天中魂」という言葉で表されるものとは一体何なのか、いささか私の屁理屈を喋ってみようと思う。結論から先に言わせて貰うが、「天中魂」とは、真の自由の精神である。
〈中略〉
私は天王寺中学校において最初にラグビーを始めた者である爾来70年私はラグビーの名選手になった訳でもなく、ラグビー競技の指導的立場に立った者でもない、にもかかわらずこの競技と離れることができず、些少ながらも母校のラグビーと協会の世話焼きに終始し得て来たということは、ラグビープレイなるものが、自制あるプレイとして、自制を超越して「大用現前」にしてくれるものであったからに外ならぬ。それは我々の少年の頃に考えられた、あの文句無しの「天中魂」発揮の自由と、軌を一にするものであったからであると悟るに至ったからである。即ち繰り返し言うようだが、私の言う自由というのは毅然たる「天中魂」式規制の上に立ち、遂にそれを越えたる「桃陰人」の持つものでなければならぬ。
阿部幸作氏は質実剛健についても独自の思考を「桃陰回想」10号に寄稿していますが、とりわけ創部期の桃陰ラガーにとって「自由闊達質実剛健」と「天中魂」はその意味が融合したものとなり、天王寺のラグビー精神を形成していきました。
ラグビー精神が繋ぐもの勝つことが目的でない、第ーはラグビー精神の体得であり、第二は …続きを読む
ワールドラグビーは2009年、ラグビーが持つ人間形成に資する特徴として「品位(Integrity)情熱(Passion) 、結束(Solidarity)、規律(Descipline)、尊重(Respect)」の5つをコアバリューを示しましたが、これらはラグビー精神を表す語として理解されます。それに先立つ30年以上前、創部メンバーの松川秀男氏(中25)は50年史の中で、天王寺のラグビー精神を次のように綴っています。
〈前略〉今でも忘れられず、まざまざと目に浮かぶのは大正12年の暮れ近く、三好が私の家へ飛んで来て、今日の東京の新聞に慶応普通部のラグビーチームが西下しその第一戦に天中と対戦すると発表したと知らせてくれた。当時は関西の同志社普通部,京ー商と共に関東いな全国のラグビーの名門校である慶応普通部が関西遠征の第1 戦にわが天中を選んだと聞いて我々3 人の計画が、こんなに早く花が咲くとは夢にも思われなかった2 人は相抱いて喜んだのであった。
それまでに我々は大先輩である稗田、井上(二)(慶應出)、奥村(同志社出)の諸氏を訪ね種々精神的な指禅を賜り、巌さんもかけつけられ心技両面の指導をたまわったのである。これら諸先輩の指導は後年名門天中に脈々と受けつがれたラグビー精神である。すなわちラグビーは勝つことが目的でない、第ーはラグビー精神の体得であり、第二は強靱な体カの養生、第三は勝敗であると教えられた。我々が教室で教えられるより、グラウンドで肉弾相うつ試合の最中に自然と覚えるフェアープレーの精神こそが後年の人生にどれほど役立つかはかり知れない。
〈中略〉
当時ラグビーの右も左もわからない,おぼつかない私の知識をたよりに練習に努力された当時の若い人々のひたむきなラグビー愛と、諸先輩に教えられたフェアープレーの精神を発揮し、その気品とたくましい精神をもって天中ラグビーの基礎を創られた諸君に心から敬意を表すと共に、創立当時を想起しては淡い誇りを感ずるものである。最後に、天王寺のラグビー精神を表すもう一つのエピソードとして、谷口敏夫氏(中26)の50年史の寄稿文「戦後の夢と希望をつなぐ」を紹介いたします。

写真をご覧下さい。関西ラグビー対三高(旧制第三高等学校)とのラグビー試合の前に記念にうつした一見平凡な写真ですが、これは昭和20年9月23日に京大北白川のグラウンドでうつしたものです。終戦の日、すなわち昭和20年8月15日、みな人生の夢も希望も失って、ただぼんやりしていた時です。それから何日か経過したある日、西野網三先輩の発言で小生の夙川の家に井上二郎氏、奥村竹之助(三高、京大)、巌栄一氏、杉本彰氏、川本時雄氏(三高、京大)、矢島引一氏(大高、京大)らが集まって、好きなラグビーの話で灰色の気分をふっ飛ばして快気炎をあげました。その時だれかが三高のラガーが練習を始めているそうだ、クツのないやつはワラジをはいてボールをけっているそうだ—その時、西野先輩が「よし三高と試合をやろうじゃないか、谷口、お前関西ラグビーのメンバーを集めろ」といいだし、それが実現したのが写真の試合です。この写真の中に天中出身者が9人もおります。主審杉本、線審松下、関西ラグビー斧原、正野、谷口、村田、北條、中西、三高中村。この試合のあと写真の真ん中におられる山本修二先生(三高ラグビ一部長)が西野先輩の手をにぎって、日本のスボーツ再建のためにがんばって下さいという感激のシーンがありました事をつけ加えます。天高ラグビ一部50年、早いものですネ小生の卒業の時にはまだ天中にはラグビ一部がなかったのです。同好の者が集まって昼休み、また放課後グラウンドで楕円のボールをけっていたようです。ボクもボールを皆と取り合いしてけって楽しんだ事をよく覚えております。その後、平井君、山村君、松本君らがラグビ一部をデッチ上げた様に記憶します。もちろん先輩の井上さん、石田さん、西野さん、三好さん、阿部さん、寺戸さんらが卒業して高校、大学の選手として活躍され天中ラグビ一部の創立にご尽力された事と思います。
(【天王寺高校ラグビー部創部百周年記念誌】p33~34 Ⅱ.継承-天王寺のDNA-より)
数々の実績
全国大会出場19回、優勝2回、準優勝3回の戦績。日本代表選手、監督、高校日本代表選手、大学ラグビー、社会人リーグ等に選手、主将、監督ほか多くの人材を輩出
定期戦(北野高、神戸高、兵庫高)
天王寺高校創部翌年に北野高校にラグビー部が誕生し、定期戦を始めました。
以来2024年まで続いており、恐らく日本最古の高校ラグビー定期戦と思われます。
近年は神戸高、兵庫高とも定期戦を行っています。
試合後はアフターマッチファンクション※でお互いの健闘をたたえ合い、長きにわたる友情を育んでいます。
(※アフターマッチファンクション:試合後に軽食とドリンクと会場を用意し行われる両チームの交歓会。ノーサイドの精神を表す大切なラグビー文化の一つ。)
監督・コーチより
天王寺高校ラグビー部 顧問・監督北邨 淳
天王寺高校ラグビー部は1922年(大正11年)に創部し、大阪の高校では最も古く、全国大会優勝2回、出場回数19回と日本屈指の伝統を誇りますが、その部員のほとんどが未経験者です。
そんな新入生が入部を決めた理由の多くは「雰囲気の良さ」です。
身体をぶつけ合うコンタクトスポーツであるラグビーでは、痛みが伴い、恐怖心を抱くこともあります。
それでもチームのために勇気を出し、懸命にプレーします。その過程で信頼と深い絆が生まれ、それが「雰囲気の良さ」に繋がっています。
最初はタックルに入れなかった部員が3年間で心身ともに成長します。ラグビーは人を成長させるスポーツです。
天王寺高校ラグビー部は、安全性を大切にし、丁寧な指導を心がけています。顧問以外にも経験豊富な OB が同じ想いで指導してくれることも天王寺高校の魅力の一つです。
「興味はあるけど痛そうで怖いな…」「自分みたいな体格では…」と思っている人がいたら、安心してラグビー部に来てください。
同じ経験をした先輩たちが待っています。もちろん、経験者大歓迎です。公立高校で、天王寺高校で一緒にラグビーをしましょう。
ラグビー部は他部より引退時期が遅いですが文武両道を実践し、学業との両立を果たしています。
3年生は早くから練習後に塾や校内での自習等に励み、行事も全力で楽しみます。引退後の切り替えも見事なものです。
そうやってクラブと行事と勉強を頑張る3年生の姿を1・2年生は近くで見て、自分たちの代で実践します。そうやってバトンが受け継がれています。
他部よりも1~3年が長く一緒にいる。
これもラグビー部が絆を深め、人間性を高める要因となっています。「引退が遅い」は決してデメリットではありません。一生の宝を得ることができます。
天王寺高校ラグビー部では、「安全」と「学校生活の充実」を前提に部員の目標達成に向けて指導しています。
部活に燃えながらも、勉強はもちろん、行事やイベントにも積極的に参加してほしいです。そして卒業する時に「入部して良かった!」と部員全員に言ってほしいと思っています。一緒にラグビーしましょう!
ヘッドコーチ&ドクター山口拓也
天王寺高校ラグビー部のヘッドコーチ、チームドクターを務めさせて頂いております山口拓也と申します。
私が天高ラグビー部のコーチをする理由は、『天王寺高校でラグビーをする(学ぶ)ことで、人生がとても楽しい、喜びあふれる方向に向かうことになる』ということを天王寺高校の生徒の皆さんだけではなく、広く社会に伝えたいからです。
文武両道の精神の元、学業とスポーツの両方に励んできた天王寺高校ラグビー部の卒業生たちは、社会において、実に堂々として生き生きしています。人としての厚みが感じられて、非常に頼りになります。
学業やスポーツ、その他の様々なことから教養を身につけ、さまざまな文化に触れ、交友や出会いを楽しむことで、人は人格の大きな土台を形成することができます。天王寺高校でラグビーをすることで、思慮深く、人を思いやる、社会性豊かな人間になる方向に向かうことができると、OB一同考えております。
苦しんで労する(苦労)ではなく、労を工夫すること(工労)を仲間と共有し、魅力的な人間になって、味わい深い楽しい人生を歩むことができる、そんな人間が育つようなチームになってもらいたいです。